地元じゃ負け知らずの俺が、負け続けた結果、すこしずつ自信を取り戻してきた話

思うこと



※自己紹介がてら、私の生い立ちについて書いていきます。


地元じゃ負け知らずだった。


私は佐賀県の片田舎で生まれた。


1学級60人くらいの小さな学校に通っていた。


私は先生に褒められるのが大好きだった。



小学/中学生時代 (黄金期)


ある日の給食時間、


1人の生徒が食器を落として割ってしまった。


先生が来る前に片付けなくては!


すぐさま私は掃除箱に走った。

すると、別の生徒がすでにほうきを掃除箱から取り出しており、現場に向かうところだった。


私は、そいつからほうきを奪い取った。


かせよ!


奪い取ったほうきで、割れた食器を片付けた。

ほとなくして、担任の先生がやってきた。


私のことを気に入っていて、いつも褒めてくれる先生。

「えらいねー、みんなたうろすくんに拍手!」


パチパチパチ👏


今振り返ると、周りから、偉いねーとか、賢いねーとか褒められることに躍起になっていた。


そんな小学1年生だった。

学級が上がるにつれて、人から褒められることに執着しなくなった。


ただ、片田舎の小さな町の中では、勉強もトップクラスだったし、運動もできた。


サッカー部に所属し、学校の委員会活動や、地域の活動にも積極的に参加した。

習字や、美術でも県の特選などの賞を数々受賞した。


両親や祖父母はいつも

鼻高々ね〜

と言って満足そうだった。

まさに、地元じゃ負け知らずだった。



高校時代 (底辺期)


県で1番の進学校に入学した。


サッカー部に入り、例の如く文武両道を目指した。


ただ、高校1年にして、今までのようにはいかないと気づいた。


クラスの中でほとんどが自分より成績のいい生徒ばかりだったからだ。

同じサッカー部には、灘高に受かったやつや、県模試で1番の成績をとったやつもいた。

そいつらはどうやら、駅前の塾に通ってるらしい。


私はすぐに親に頼んで、塾に行きたいと言った。


私も同じように塾に通って、同じように勉強すれば、同じレベルの成績を取れる。

そう思っていた。


しかし現実はそう甘く無い。


そこから苦悩の日々が始まった。


夜の19時半までサッカー部での練習をして、

その後に塾に行く。

授業が無い日は自習室にこもって勉強した。

市内の生徒が多い中、私は地元まで電車を乗り継いで帰っており、

家に着くのは23時頃だった。

そこから宿題をして、寝るのは1時頃。

そして6時起きで、また学校の朝補習に行く。

ただ実際は、部活で疲れすぎて、自習室で寝てしまったり、

宿題をやらずに授業を受けたりしていた。

灘高や県1などの優秀な生徒は、宿題は授業が始まる前の休み時間にちゃちゃっと宿題をやっていた。

そして私はついに320人中300番台の成績を取ってしまった。

毎日懸命に勉強した。部活もしながら塾に通って、電車の中でも単語帳をみて勉強した。

授業が終わっても、教室に残って分からなかったところを先生に質問した。

それでこの成績。

初めて自分に失望した。


所詮この程度か。

そんな生活を3年間耐え抜いた。

そう、耐え抜いたと言うのがしっくりくる。

私は負け知らずだった時代と同じように、

勉強以外にも色々取り組んだ。


ただ、勉強に限っては、

ことごとく結果が出なかった。


辛かった。


高校時代特に辛いのは、勉強意外に、その人の能力を測るものが無いからだ。

社会に出ると、芸能人、小説家、エンジニアなど、

多様な職種や生き方があり、

それぞれ自分にあった道を進む事ができる。


もし、音楽で食っているなら、

テストでいい成績を取る必要は全くないし、

成績がいい奴らと比べる必要もない。

高校にはその多様性が無い。


成績だけ。それしか自分の能力を測るものがない。


振り返ってみると、

周りに流されて、自分のペースで物事を進めることが出来なかったと思う。

今は社会人7年目で、そこそこ経験もあるし、

自分がどんな人間かを多少なりとも理解している。


今なら、灘高や県1に対しても、「だから何やねん」と、胸を張って言える。

(灘高や県1も、普通にいいヤツなんだが笑)

もし過去に戻れるなら、今のマインドを持って高校時代にチャレンジしたい。


今なら対等とまではいかなくても、自分のやり方で、周りに流されず、何かしらの結果を出せる気がする。



高校時代は、自分を知らない自分にとってハードすぎた。


欲を言えば、社会に出てから現場の仕事、マネジメントの仕事、

はたまた若手を教育する仕事など、ひと通りの経験をした人が、



自分の確固たるアイデンティティを確立した上で、高校時代にチャレンジするのがいいだろう。

大学〜大学院時代 (特筆すべき時無し)

見出しのとおり、特筆すべき事はない。

充実していて、おもんない時代だった。


社会人時代 (カオス期)


私は京都のメーカーにエンジニア職として就職した。


同期には色んなやつがいる。

関西弁丸出しのおもしろ営業マン、仕事も休日もところ構わずのプログラマー、超有名大学卒のトリリンガルグローバル男子。など。

私はめまいがした。

私には何があるだろうか。

確かに工業大学で院卒ではあるが、

休日も没頭するほど、ものづくりが好きな訳でもない。

かと言って、上司や他部署のメンバーに「呑みにいきましょうよ〜」と言ってコミュニティをぐんぐん広げていくような奴でもない。

自分のアイデンティティは何かを模索した。

色々試した。

ネットで探したイベントに参加したり、

めちゃくちゃ読書してみたり、

海外旅行に行ったり、

せどりをしたり、ブログを書いたり、

語学を勉強したりしてみた。

なんかしっくりこない。

そんな中、ハードウェアエンジニアとしての日々の仕事にも不満があった。

やりたいと思っていた設計業務はやらせてもらえず、訳も分からず作業ゲーの評価をさせられ、


挙げ句の果てには人員が足りないからと、展示会のデモ機作成や、

ソフトウエアの評価までさせられた。

同期はみるみる専門性を高めていく中、

私は自分の専門も分からないようになっていた。





このままではマズイと思い、
身を固めるためにソフトエンジニアとして転身したいと上司に申し出た。

入社4年目からソフトウェアのエンジニアになった。

ただ、その後も私の感情はカオスだった。

近年ソフトウェアの人材獲得には力を入れていることもあり、チームは若手が多い。

2、3個上の先輩は、ものすごく頼りになるし、
私からみると超絶優秀で、生まれ変わってもこの人にはなれないと確信するほど。

また、私の後輩として入社してくる人は、
私よりもはるかに学歴も上、地頭も格段に上だった。

彼らは物おじせず、何事にも積極的にチャレンジし、次々と成果を上げていく。
しかも人格も最高にいい。

懐かしい高校時代が戻ってきたようだった。

私は毎日モヤモヤをかかえて生活していた。

社会人時代 (黎明期)


私は中国人同期の誘いで、中国のSNSに自己紹介を投稿した。


中国語は趣味で少し勉強していたくらいで、
超初級レベルだ。

そこそこの閲覧数になり、
コメントが来たりした。


日本人だから珍しいのかな。。


中国人が興味のある日本の風景やモノの
写真を上げたら、もっと見てもらえるかも。

少し調べると、中国では日本の食器が人気らしいということが分かった。


私の地元は佐賀県で、
日本の磁器発祥の地である有田もある。

どうせなら地元に貢献したいと思い、
帰省の際に行った有田焼のお皿や食器などの写真をアップし、焼き物について調べたりしながら、解説記事などを上げていった。

すると、みるみるフォローワーが増え、
今では1000人くらいになった。

お店の住所を教えてとか、作家さんは誰?
といったコメントが寄せられるようになった。

この時、自分が発信したことで、
別の国の全く知らない誰かに対して、わずかだか、
影響を与えているということに、驚き、
そして嬉しくなった。

また、コロナが明けて観光客が増えた今、自分の紹介記事によって、地元の有田をはじめ、窯元や販売店の宣伝になり、産地に貢献できるのでは。

そう思うようにもなった。


心のモヤモヤを払拭するために

私は、高校時代(底辺期)や社会人時代 (カオス期)から感じていたモヤモヤを払拭するには、「自身を持つこと」が必要だと思った。




私は自身を持つために、必要なことが2つあると気づいた。

一つ目は、自分の意見や考え、持っている情報を発信すること。

思い返せば、私は昔から受け身だった。


何事にも積極的に挑戦しているように見えるが、実際は周りの目を気にして、人によく見られたい、評価されたい。


あいつはできるのに、なぜ私はできない。


そんなスタイルで今まで生きてきた。

まさに受け身の姿勢だった。

しかし今は、自分が中国SNSを利用して情報発信した事で、
わずかだが、人に影響をあたえれることを実感できるようになった。

すると、

質のいい&役に立つノウハウや考え方を発信したいと思うようになる


ネタに関する感度が高まる



インプット量が増える


さらにいいアウトプットができる



インプットとアウトプットを早く回すことで、得意な領域が広がり、尖った強みになる。


そう、情報を発信することで、「自信」を育てていけるのだ。


二つ目は、自分と他人と比べないということ。


私は副業をやっている時に、本業と同じようなストレスを感じたことが無い。

その理由は、自分と比べる他者が存在しないからだと気づいた(少なくとも私の周りには、私と同じことをしている人がいない)。


もし、優秀な先輩後輩などの比較対象となる他者が存在している状況でも、副業とおなじように周りと比べさえしなければ、ストレスを感じることは少なくなる。



そして自分自身に集中することができる。


「人と比べないこと」



これが、自信を持つために必要だ。


終わりに


これまで私は、過去の失敗を思い出したり、優秀な先輩後輩に劣等感を感じたりして、

くよくよ悩んでしまうことも多かった。


そんな私が、自信を持つために、「情報発信すること」と、「人と比べないこと」が重要だと気づき、できる範囲で実践し、

少しづつではあるが、自分の中に「自信」というものが芽生えてきた。

今の取り組みを継続していくことで、さらに「自信」を成長させていくことができるだろう。

この記事が、同じような悩みを抱えている人の、ちょっとした支えになればうれしいです!!

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